2024 04,18 05:48 |
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2020 06,02 09:49 |
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2013 03,26 11:17 |
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すてきな本に出会った。
読んで良かった本とか、他の人に勧めたい本とか、そういうのにはたくさん出会ってる。 でも、本そのものに惚れて、これから先何十年も家の本棚に置いておきたい!なんて思った本は本当に久しぶりだ。 本文に使われている紙の質とか、ソフトカバーで派手すぎないけど楽しげな色の装丁とか、全体の雰囲気も相当好き。 自宅ブックカフェ(笑)の本棚の、特等席に置かれること決定。 前置きが長くなったけど、この本について。 マイナーだけど、面白いとこだらけのアメリカ大陸の神話や、 遺跡からおぼろげに分かってきた暮らしぶりなどを、マニアックに書きまくった本。 マヤ! アステカ! なんかわくわくするけど、難しくて、くわしいことは全然知らない、って人がほとんどだろうと思う。 僕もその一人。でも、なんかわくわくする、ってステキだよね。 全然知らないのも、これから新鮮に驚ける要素がつまっている、ってことだし。 そして、全編手書き。 さらっと言ったけど、とんでもないことだ。 イラストはもちろん、びっしりと書かれた文字が全部手書きのものを、取り込んで印刷してある。 ほぼ全ページ黒一色で、細いペンでひたすらに手書きされたその本の見た目は もはや、中学校とかの学級新聞そのもの。 もっとも、今は学級新聞だってパソコンで作るのかもしれないけどね。 なんでそんなめんどくさいことをしたんだ!と誰だって思う。 パソコンに比べて労力がハンパない。 それに、正直言って読むのも大変。 活字ならさらさらと読み流せるのに、手書きだといちいち頭の中で解読するからか、 予想以上に読むのに時間がかかる。 いつのまにか僕らはすっかり活字文化に染まっているんだなぁ、なんて思う。 でもそれでも、この本が手書きであることはすごい魅力だ。 僕らからすると全く馴染みがなくて、遠い存在であるマヤ、アステカの文明が、 手書きの文字によってすごく近く感じられる。 えらい学者先生がまとめた考古学の本じゃなくって、好奇心旺盛で変わり者なクラスの友達が、 目を輝かせながら語ってくれる不思議な話。そんな感じ。 内容はといえば、意外にも「簡単、すぐわかる!」という感じじゃない。 出てくる内容もごちゃごちゃしてるし、そもそも分厚い(約300ページ!)。 しかも、これでもか、というほどに詰め込まれた脱線的な、トリビアっぽい情報だらけで、 どれが本筋かわからなくなったりもする。 でもそれがまた、自分の話に興奮しながら熱く語る友人っぽくていいんだよなぁ。 考えてみれば、古代の神話なんていう役に立たないことに夢中になっているんだから、 合理的なことなんかとは無縁で、脱線こそが楽しいんだもんなぁ。 世の中、分かりやすいとか、手間をかけないことがもてはやされてるけどね、無駄はロマンなのですよ。 偉そうな学問っぽくはないと言ったけど、だからと言っていい加減に作られてるわけじゃない。 そこはオタクらしい熱心さを発揮して(笑)、大量の参考文献を参照して膨大な情報量になっている。 もともと学会でもまだわからないことだらけの文明だし、門外漢の気楽さもあって、 ちょっとトンデモな説も、「こんなことを言っている人もいます」なんて取り上げているのがまた楽しいんだよなぁ。 そんなわけで、一気に読み終えて「役に立った」とかなんとか言うんじゃなく、 家においておいて、何年後でも、気が向いたときに手に取りたくなる、そんな素敵な本なのでした。 ギリシャとかエジプトとかの本もあるらしいぜ! これは本棚に並べねばなー。 見てみたい人は、うちに遊びに来るといいよ(笑)! |
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2010 04,04 10:40 |
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「メディアは人。メディアは間違える。何故なら人だから」
「事実は確かにひとつ。けれどそれは限りない多面体。 メディアが示すのは、そのたったひとつの断面に過ぎない」 特に新しいことが書いてある訳じゃない。 ごくごく当たり前のことが書いてある。 だけど、その当たり前のことは驚くほどに忘れられ、無視されている。 オウム真理教信者のドキュメンタリーを作る時に、 信者たちは普通の人間だ、と描こうとして テレビ局から契約を解除されてしまったという著者ならではの、 語りかけるような文体の中に込められた思い。 啓蒙的だけど、あまり説教臭く感じることなく読める。 たくさんの人に勧めたい良書。 |
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2010 04,04 10:36 |
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これはすごい本だ。
さまざまな社会的なテーマを、中学生にも分かるように書いた、 理論社の「よりみちパン!セシリーズ」。 これは本当に素晴らしい本が多くて、 とても注目していたのだけど、この本は特にいい。 というか、中学生だけが読むなんてもったいない。 中学生から専門家まで、あらゆる人が読むといいと思う。 世の中はイスとりゲームのようなものだ。 イスから転げ落ちた人々が貧困になる。 「自己責任論」は「座れなかったヤツに問題がある」という考え。 だけど、「イスの数が少なかったのが問題だ」と 考えるべきじゃないのか?と湯浅氏は問題提起をする。 パン!セシリーズで僕がすごいと思うことは、 「中学生に向けて書く」ということの影響力の大きさを 著者がきちんと意識していて、 「自分の文章で中学生を言いくるめてしまわないように」、 ものすごく抑えて、いつも以上に内省的・自己批判的に 文章を選んでいるところだ。 この本は特に、前半がいい。 世間で非常によく言われている「貧困に対する反論」を、 質問形式で並べ、それにひとつひとつ答えている。 「努力しないのが悪いんじゃないの?」 「甘やかすのは本人のためにならないんじゃないの?」 「死ぬ気になればなんでもできるんじゃないの?」 「自分だけラクして得してずるいんじゃないの?」 「かわいそうだけど、仕方ないんじゃないの?」 どれも、メディアで聞き飽きた「自己責任論」の常套句。 それぞれへの答えが、ひとつひとつ丁寧で共感でき、 きちんと読者を考えさせるようにできている。 人間は実は公平なんかじゃない。 能力を発揮するための「溜め」が、それぞれ違う。 「溜め」の量によって、同じ努力でも結果の大きさが違う。 結果からさかのぼって努力の量を類推する「自己責任論」では、 この「溜め」の要素を無視しているのだ。 はっとさせられたのは、 「労働条件が悪くなる→貧困が増える→NOと言えない労働者になる →社会全体の、労働条件がずるっと下がる」 という「貧困スパイラル」。 まさしくそういうことが社会ではものすごい勢いで進行していて、 「誰もが不幸になる社会」への道を突き進んでいることを、 肌で感じている。 僕も中学生の時にこの本に出会いたかった、と思う。 でも、今出会えてよかった、とも思う。 いつからでも遅くない。ぜひ読んで、自分の頭で、考えてほしい。 |
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2009 08,27 19:13 |
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初京極夏彦。
正確には、前に短編集をちょっと読んだことがあったんだけど、 その時はいまいち面白いと思えなくて途中までで挫折。 やはりこの人は長編の人なんだろうなぁ。 とにかく巧い小説。もう唖然とするしかない感じ。 古文じみた文章はそりゃあ読みにくいんだけど、 とてもリズムが良くて言葉選びも巧みなせいか、 少し読むと慣れてきてしまうから不思議。 歌舞伎とかの感覚に近いのかもしれない。 むしろ日本語好きの僕としては、 今使われている言葉の語源のようなものがたびたび出てきて、 感心しながら読み進める感じだった。 そして、とにかくも構成が巧い。 絶対、前から思いつくままに書いたりしないで、 ものすごく綿密なプロットを立てて書いているんだろうなぁ。 各章ごとに人の名前がつけられていて、その人が視点保持者となって進む。 いわゆる「キャラクター寄り三人称」というやつで、 視点保持者に限っては心情も描写する、一人称に近い形だから、 いわゆる「それぞれの思惑が複雑に絡み合って云々」というのが、 まさに目の前で繰り広げられる。 そのおかげで探偵もいないのに読者には全てがきちんと明かされるという、 神業的な構成を、この作品は持っているのだ。 僕は本を読むときに、登場人物に感情移入したい、という気持ちがとても強い。 だから自分とあまりに違う環境に生きている人物が主人公の作品はちょっと苦手だったりする。 だけど、この作品は僕に新しい読み方を示してくれたように思う。 舞台が江戸時代だから、いわゆる善悪の考え方も今とはまったく違うから、 登場人物に感情移入するのがちょっと難しい。 家を断絶させないために見たこともない人物と結婚するとか、 まぁ、僕らにとっては意味が分からないもんだ。 だから作品では「この時代はそういうもんだった」 みたいな説明をして納得させなくちゃならないんだけど、 視点保持者がどんどんと入れ替わる構成のおかげか、 あるいは、作品全体をしっかりと捕まえている本当の主人公が、 物語の当事者ではない、いわば狂言回し的な人物の又市であったせいか、 「この人はそういうふうに思ってしまう人なんだな」 とそれぞれのキャラを冷静に見ることができ、 感情移入を必要とせずとも十二分に面白いのだ。 そういう読み方のせいか、読み終わったあとはひどく冷静で、興奮はない。 けれど、とにかく巧い、すごい、という思考が頭の中をぐるぐると巡っていて、 なんだか悔しいが、それがとても快感なのだ。 まんまとしてやられた、という感じ。 で、読み終わったあとに作者のプロフィールを見て余計に悔しくなった(笑)。 広告代理店やらデザイン会社でそれなりに認められながら働いていて、 仕事の合間に初めて書いた小説を、なんの賞でもないのに出版社に持ち込んだら、 すぐに出版されて大人気になった、ってどんだけ天才なんだ(笑)。 悔しいから、「好きな作家は京極夏彦です」なんて、ぜーったい言わないんだから! さて、次はどれ読もうかな……。 |
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2009 08,27 08:07 |
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まだ『神の守り人』までしか読んでいないが、
現時点での感想を書いておこう。 この作品はすごい。 ジャンルで言えばファンタジー、 それも、完全な異世界を一から創造した ハイ・ファンタジーということになるのだろうが、 今まで日本で作られていたような、 あるいは日本人が「ファンタジー」と聞いて思い浮かべるような 華やかで優雅で美しい「妖精の国」のような世界とは 一線を画している。 その世界はあくまでも土臭く、華やかさとは無縁だ。 いわゆるファンタジーらしい要素としては、 人間達の住む世界と重なる、精霊や神の住む異界 (ナユグやノユークと呼ばれる)が存在するが、 それらはあくまでも人間達の生活に直接に関わる、 極めて現世的な物である。 『守り人シリーズ』は、いわゆる続き物ではなく、 各タイトルごとに話が完結する、いわば「連作」ものだ。 そして特徴的なのは、ひとつの話ごとにひとつの国が舞台となり、 その国の成り立ちから政治体制、民族のあり方や文化までが 詳細に語られることだ。 各国の詳細な描写こそがこのシリーズの大きな魅力、と言っても 過言ではないだろう。 それはファンタジーと言うより、まるで歴史の授業のようだ。 歴史の授業で僕らは教わる。 「ローマ帝国は遥か遠くまで遠征に行き、 そこに戦争を仕掛けて植民地にした」 「エジプトは王を神の化身として祭り、 死後にはその墓として巨大なピラミッドを建てたと言われている」 「バラモン教では神官を最高位とした厳格な身分制度が作られていた」 「中国の都市にはシルクロードを通って様々な民族が入り交じり、 複雑な様相を呈していた」――。 だがこのような授業では、 本当にそこに生きていた人がいること、 そこにひとりひとりの人生があったことなど、 実感どころか、想像すらできない。 「守り人」のすごいところは、 そういった様々な異文化を疑似体験できるところにあるだろう。 旅の凄腕の用心棒であるバルサが各地を渡り歩きながら、 それぞれの国で重要な人物を護り、あるいは自らを護るために戦う。 それが「守り人」シリーズに共通するあらすじだ。 大抵の場合、王族などの権力者が登場し、 国を支える権力構造や問題点などが明らかにされる。 民族問題、宗教の問題、貧富の差――それらは創作だというのに、 いや創作であるからこそ、鮮やかに赤裸々に描き出される。 重要なのは、バルサは「正義」ではないということだ。 国の陰にある、人間の黒い部分を目の当たりにして、 バルサは正義の味方としてそれを糺すようなことはしないし、 彼女にそんな力はない。 バルサの目的はあくまで生きることだ。 そう、この作品は「生きること」にこだわるものだと言える。 登場人物達は、僕ら現代に生きる人間には及びも付かないような、 過酷な状況下に生きている。 そして大抵の場合、命を狙われることになる。 あまりに巨大な困難に、 「生きること」そのものを放棄しかける登場人物に対し、 バルサは決してあきらめず、とにかく生きることを選択する。 おそらく、守り人のテーマはそこにある。 厳しい状況がある。絶望するのは簡単だが、それではそこで終わりだ。 だがその中であきらめずに「生きること」を選択する。 それは困難だが、それでもその先には『何か』がある。 言葉にしてしまうとそれだけのこと。 でもそれが本当の実感を伴って訴えかけてくる作品は、 なかなかないのではないだろうか。 おそらくは文化人類学に裏打ちされた、 この設定力の高さがうらやましくて仕方ない。 |
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2009 03,22 11:22 |
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おすすめ度:☆☆☆☆☆(5/5)
ジャンル:邦画 主演は蒼井優。 ひとりで働いて、百万円貯まったら、 自分のことを知っている人が一人もいないところへ、 逃げるように移動していく。 そんな女の子の話。 コピーだけ見ていると、なんだかずいぶん変わった話に思えるけど、 一つ一つのエピソードはきわめて日常的で現実的。 作り込みが丁寧だから、本当にありそうな話に思えてくる。 誰もが一回くらい思ったことあるだろう。 「私のことなんて誰も知らない町にひとりきりで行って、 いろんなしがらみを全部断ち切って、ゼロからやり直したい!」 と思ったこと。 現実にはなかなかやる人はいないけど、 考えてみれば実行することはそんなに難しくない。 それを疑似体験できるような、そんなリアルな映画だ。 この作品の素晴らしいところは、 余計な価値判断をしないところだ。 「田舎はいいよね」とか「地方はよくない」とか、 そんなことは言わないし表現もしない。 それどころか、「友達はいいもんだ」とか、 「いじめには勇気を持って戦いましょう」とか、 そんなことさえも一切言わない。 どれが正しい答えかなんて、誰にもわからないし、わかる必要もない。 もう一つの人生の疑似体験なんだから、あくまで現実的。 この作品を見て、「自分もこんな風にしたい」と思うか、 「いや、こんなのはいやだ」と思うのか、 それはきっとひとそれぞれだろう。 だから、疑似体験。 あくまでも、「こんな生き方もあるかも」と思わせるだけ。 自分の人生はひとつしか選べないけど、 何かを選んだら何かを捨てなくちゃいけないかもしれないけど、 「もしこんな生き方を選んだら」って、映画で経験してみるのは、 なかなか貴重な体験かも。 主演の蒼井優も、共演の森山未来も、 演技がめちゃくちゃうまいのかどうかはよくわからないけど、 「演技してるっぽくない」ところがすごくいいから、 この作品にはぴったり。 邦画特有の、リアルな音やカットをそのまま使う、 シンプルで静かな演出がまたすごくよくて、 映画を見ている気がしないのがすごい。 すごく変わった友達の話を聞いているような、そんな感じかな。 面白かった。 |
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2009 03,09 23:20 |
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ジャンル:歴史小説
おすすめ度:☆☆☆☆☆(5/5) 実は、今度「エリザベート」のミュージカルを初めて見に行くことが決まったので、その予習のために、と読み始めた作品。 藤本ひとみさんは、僕の中で女性が主人公の歴史小説を書かせたら右に出るものはいない、と思っている作家。 せっかく歴史もののミュージカルを見に行くのだから、その背後についてちょっとは知っておきたいなぁ。 だったら、面白い歴史小説で読めたらいいなぁ。 あ、藤本さん、エリザベートの小説書いてないかな? なんだか好きそうだし。 そんなふうに思って検索してみると、なんと、ちょうど新刊で発売するところだって! タイミングぴったり!(というか、ミュージカルに合わせたのかもだけど) そんなわけで、期待いっぱいで読み始めてみた。 読み始めた最初の方から、「あれ? これは今まで読んだ作品とは違うぞ」と感じる。 藤本さんの歴史小説は、ジャンヌ=ダルクやらヴァンデ反乱やら、どちらかと言えば血なまぐさいものが多かったのだけど、この作品は激動の時代とは言え、宮廷の頂点、しかもわがままで有名だったというエリザベートが主人公。 歴史小説というより、むしろ藤本さんが初期に書いていたコバルト文庫の少女小説に近いんじゃないか?と思われるほど、キャラクター的でライトテイスト。 ところがその手法が何とも効果的。 最初の方で各登場人物の個性を強烈に印象付け、その心の変遷を丁寧に書いていくことで、歴史上の彼らの行動さえも全て読者に共感できる形に読み解いていく。 そりゃもちろん、小説なんだから作り話で合って、本当かどうかなんてわからないけれど。 現実より現実的というか、なんだかありそう、と思わせてしまう筆力がすごい。 そして、藤本さん特有の時に登場人物の心に深く入り込み、時に客観的にも描写する緩急自在の地の文によって、対立するキャラクターそれぞれに感情移入してしまう巧みな構成。 シシィの気持ちもわかる、けど、ゾフィーの考えにも一理ある。 でもフランツ・ヨーゼフにだって立場はあるんだし、仕方がないじゃないかー。 なんて調子で。 誰一人単純な悪役にしたりせず、共感しながらも、偶然の悪戯と大いなる世界の流れに押し流されていくのを、誰もとどめられない。 そういう構成が、実に壮大でかつ繊細。 やっぱりこの人の書く歴史小説は抜群に面白い。 特にこの作品は圧倒的に読みやすいから、歴史苦手、って人にこそ読んで欲しい素晴らしい歴史小説。 |
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2009 03,09 23:17 |
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ジャンル:J-Pop
おすすめ度:☆☆☆☆☆(5/5) 迷走を続けていたように思われる、LOSTがようやく出したアルバム。 最初に聞いた時には、「あれ?」って思った。 歌い方が全然違う。 LOSTの特徴ともいうべき、心の底から絞り出すような、 胸が張り裂けそうな叫び声がどこにもない。 かといって、アルバム「時計」の時のような、 一音一音の響きを突き詰めた、芸術的な歌い方でもない。 頭を突き抜けるほどの、歪んだ、攻撃的なギターの音もない。 なんだ、全然エネルギーがないじゃないか。 やっぱりLOSTは挫折して、ふにゃふにゃになっちゃったのか。 だけど、そうじゃなかった。 今回の肩の力が抜けたような声、その理由は、声の射程にあったんだ。 声の射程。どこをめがけて声を出しているか。 今までの叫ぶような声、 それは誰もいないような空の高く高く、 あるいは遥か彼方にいる、「決して届かない君」、 もしくは空に映した自分自身、 そう言ったものに向けて放たれていた。 もっと遠くへ、もっと強く。 どこまでもどこまでも、貫くように。 ひとつだけ大きく歌い方の違う、「時計」の場合は、 その声が向けられていたのは「自分自身」に他ならない。 ひたすらに音の完成度を突き詰めて、内へ内へ。 自分自身の、奥深くへ。 ところが、今回のアルバム、海北大輔の声のターゲットは、 目の前にいる、君。 つまり、聴き手である僕たちだ。 このアルバムは、LOST IN TIMEが初めて、 自分自身に向けてではなく、僕らに向けて届けた曲だ。 アルバムの一曲目、「合い言葉」を聴いてみてほしい。 「君の心に さわりたい」と彼らが歌ったとき、 はじめて、言葉が直接、僕に届くのを感じて、震えが走った。 今まで、不器用にがむしゃらに走っているLOST IN TIMEを、 ただ眺めているだけだったのが、初めて、目と目が合った。 そう、これは、LOSTが初めて目を開けて歌った歌。 彼らはずっと、怖くて怖くて、 目を固く閉じて歯を食いしばって全速力で走ってきたから、 多くの人を置いていってしまったのだと思う。 ふと立ち止まって周りを見たら、彼らは一人ぼっちになっていた。 そしてたぶん、こう思ったんだ。 「独り言になんてしない 君の心に触りたい」 「僕は飛べなくてもいい 両手のままがいい」 |
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2008 05,23 07:29 |
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ジャンル:インディーズ音楽
今更だけど、レビューを書いてみようと思う。 何度聴いても新しい感動がある、僕が持っているアルバムの中で間違いなく1,2を争う、大切な大切な一枚。 アーティストはLOST IN TIME。 このアルバムの頃はベースヴォーカル、ギター、ドラムのスリーピースバンド。 LOST IN TIMEを語るとき、まず取り沙汰されるのはヴォーカル海北大輔の類い希なるソングライティング、特に剥き出しの言葉を連ねた、その歌詞だ。 他のアルバムでは、絶望や悔しさ、寂しさを叫ぶ、ネガティヴともいえる楽曲の多いLOSTだが、このアルバムは全体に肯定と優しさで満ちており、彼らの作品の中では異色を放っている。 それに併せて普段は血を吐くような、喉もちぎれんばかりといった風が目立つ歌い方も、このアルバムではむしろ「音一つ一つを丁寧に」紡いでいる。 かといって、このアルバムが他のアルバムに比べてエネルギーに欠ける、耳障りのいい売れ筋に走っているというわけでは決してない。 彼らの肯定は、前二作で絶望を知り、自らの矮小さ、孤独の恐ろしさを痛いほど知った彼らだからこそ作れる、「到達点」としての肯定だ。 そこには弱さや醜さを否定するのではなく、それを抱えたまま、痛みを伴った肯定がある。 そうでなければ決して「頑張ってるふりなんて しなくてもいいんだよ」などという歌詞は書けないだろう。 しかしながらこのアルバムの魅力は、海北大輔の歌だけにあるのではない。 圧倒的な、楽器の音色。 歌、ギター、ベース、ドラムの4つの音が創り出す完璧な世界。 これほどまでに完成度の高い音楽世界は類を見ない。 普通、スリーピースバンドと言えば、ドラムとベースがリズムを刻み、ギターがメロディを助ける伴奏となり、歌がメロディラインを刻む、といったイメージではないだろうか。 時折、間奏や前奏で、ギターソロが目立つ他は基本的に歌が刻むメロディーをいかに見せるか、が重要なはずだ。 ところが、LOSTはちょっと違う(と僕は思う)。 大岡源一郎のドラムがリズムの要だ。 強弱も緩急も、音色の違いも完璧に使いこなす彼のドラムは、まさしく感情あるドラムだ。 ベースの共演に頼らずとも、ドラム一本で喜びも悲しみも、強さも弱さも、すべてのリズムを鮮やかに表現する。 では海北大輔の奏でるベースは何をするのかと言えば、メロディを奏でるのである。「リズムを刻む」どころか、その演奏はどこまでもメロディアスだ。 「目立たずにメロディを下から支える」というより、ばっちり前衛で目立ってしまう。 正直に言って、歌の伴奏はドラムとベースだけで十分にこなしている。 となれば、残る榎本聖貴のギターの役目は? 言ってみれば「やんちゃな遊撃兵」だと、僕は思っている。 彼の奔放なギターは、歌の伴奏をするつもりなど毛頭ない。 右かと思えば左、上かと思えば下、という具合に、メロディの隙間を縦横無尽に駆け抜けては、予想もしなかったフレーズで僕らを翻弄する。 曲の裏方としての地位などには決して満足せず、時には飛び込むように颯爽と現れ、主役の座をほしいままにする。 それでいて決して曲の均衡を崩すことはなく、ヴォーカルを邪魔することもないのだから、見事という他にない。 このアルバムを聴き終えたとき、あなたはギターの持つ信じられないほど多彩な表現力を目の当たりにして呆然とするだろう。 ギター榎本聖貴のLOST IN TIMEからの脱退により、この組み合わせの作品がもはや見られないのは残念だが、一度リリースされた以上、このアルバムはいつまでも完成された作品として残り続ける。 スリーピースという最小単位が創造する音楽世界の極限が、ここにある。 |
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