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2013 03,26 11:17 |
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すてきな本に出会った。
読んで良かった本とか、他の人に勧めたい本とか、そういうのにはたくさん出会ってる。 でも、本そのものに惚れて、これから先何十年も家の本棚に置いておきたい!なんて思った本は本当に久しぶりだ。 本文に使われている紙の質とか、ソフトカバーで派手すぎないけど楽しげな色の装丁とか、全体の雰囲気も相当好き。 自宅ブックカフェ(笑)の本棚の、特等席に置かれること決定。 前置きが長くなったけど、この本について。 マイナーだけど、面白いとこだらけのアメリカ大陸の神話や、 遺跡からおぼろげに分かってきた暮らしぶりなどを、マニアックに書きまくった本。 マヤ! アステカ! なんかわくわくするけど、難しくて、くわしいことは全然知らない、って人がほとんどだろうと思う。 僕もその一人。でも、なんかわくわくする、ってステキだよね。 全然知らないのも、これから新鮮に驚ける要素がつまっている、ってことだし。 そして、全編手書き。 さらっと言ったけど、とんでもないことだ。 イラストはもちろん、びっしりと書かれた文字が全部手書きのものを、取り込んで印刷してある。 ほぼ全ページ黒一色で、細いペンでひたすらに手書きされたその本の見た目は もはや、中学校とかの学級新聞そのもの。 もっとも、今は学級新聞だってパソコンで作るのかもしれないけどね。 なんでそんなめんどくさいことをしたんだ!と誰だって思う。 パソコンに比べて労力がハンパない。 それに、正直言って読むのも大変。 活字ならさらさらと読み流せるのに、手書きだといちいち頭の中で解読するからか、 予想以上に読むのに時間がかかる。 いつのまにか僕らはすっかり活字文化に染まっているんだなぁ、なんて思う。 でもそれでも、この本が手書きであることはすごい魅力だ。 僕らからすると全く馴染みがなくて、遠い存在であるマヤ、アステカの文明が、 手書きの文字によってすごく近く感じられる。 えらい学者先生がまとめた考古学の本じゃなくって、好奇心旺盛で変わり者なクラスの友達が、 目を輝かせながら語ってくれる不思議な話。そんな感じ。 内容はといえば、意外にも「簡単、すぐわかる!」という感じじゃない。 出てくる内容もごちゃごちゃしてるし、そもそも分厚い(約300ページ!)。 しかも、これでもか、というほどに詰め込まれた脱線的な、トリビアっぽい情報だらけで、 どれが本筋かわからなくなったりもする。 でもそれがまた、自分の話に興奮しながら熱く語る友人っぽくていいんだよなぁ。 考えてみれば、古代の神話なんていう役に立たないことに夢中になっているんだから、 合理的なことなんかとは無縁で、脱線こそが楽しいんだもんなぁ。 世の中、分かりやすいとか、手間をかけないことがもてはやされてるけどね、無駄はロマンなのですよ。 偉そうな学問っぽくはないと言ったけど、だからと言っていい加減に作られてるわけじゃない。 そこはオタクらしい熱心さを発揮して(笑)、大量の参考文献を参照して膨大な情報量になっている。 もともと学会でもまだわからないことだらけの文明だし、門外漢の気楽さもあって、 ちょっとトンデモな説も、「こんなことを言っている人もいます」なんて取り上げているのがまた楽しいんだよなぁ。 そんなわけで、一気に読み終えて「役に立った」とかなんとか言うんじゃなく、 家においておいて、何年後でも、気が向いたときに手に取りたくなる、そんな素敵な本なのでした。 ギリシャとかエジプトとかの本もあるらしいぜ! これは本棚に並べねばなー。 見てみたい人は、うちに遊びに来るといいよ(笑)! PR |
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2010 04,04 10:40 |
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「メディアは人。メディアは間違える。何故なら人だから」
「事実は確かにひとつ。けれどそれは限りない多面体。 メディアが示すのは、そのたったひとつの断面に過ぎない」 特に新しいことが書いてある訳じゃない。 ごくごく当たり前のことが書いてある。 だけど、その当たり前のことは驚くほどに忘れられ、無視されている。 オウム真理教信者のドキュメンタリーを作る時に、 信者たちは普通の人間だ、と描こうとして テレビ局から契約を解除されてしまったという著者ならではの、 語りかけるような文体の中に込められた思い。 啓蒙的だけど、あまり説教臭く感じることなく読める。 たくさんの人に勧めたい良書。 |
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2010 04,04 10:36 |
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これはすごい本だ。
さまざまな社会的なテーマを、中学生にも分かるように書いた、 理論社の「よりみちパン!セシリーズ」。 これは本当に素晴らしい本が多くて、 とても注目していたのだけど、この本は特にいい。 というか、中学生だけが読むなんてもったいない。 中学生から専門家まで、あらゆる人が読むといいと思う。 世の中はイスとりゲームのようなものだ。 イスから転げ落ちた人々が貧困になる。 「自己責任論」は「座れなかったヤツに問題がある」という考え。 だけど、「イスの数が少なかったのが問題だ」と 考えるべきじゃないのか?と湯浅氏は問題提起をする。 パン!セシリーズで僕がすごいと思うことは、 「中学生に向けて書く」ということの影響力の大きさを 著者がきちんと意識していて、 「自分の文章で中学生を言いくるめてしまわないように」、 ものすごく抑えて、いつも以上に内省的・自己批判的に 文章を選んでいるところだ。 この本は特に、前半がいい。 世間で非常によく言われている「貧困に対する反論」を、 質問形式で並べ、それにひとつひとつ答えている。 「努力しないのが悪いんじゃないの?」 「甘やかすのは本人のためにならないんじゃないの?」 「死ぬ気になればなんでもできるんじゃないの?」 「自分だけラクして得してずるいんじゃないの?」 「かわいそうだけど、仕方ないんじゃないの?」 どれも、メディアで聞き飽きた「自己責任論」の常套句。 それぞれへの答えが、ひとつひとつ丁寧で共感でき、 きちんと読者を考えさせるようにできている。 人間は実は公平なんかじゃない。 能力を発揮するための「溜め」が、それぞれ違う。 「溜め」の量によって、同じ努力でも結果の大きさが違う。 結果からさかのぼって努力の量を類推する「自己責任論」では、 この「溜め」の要素を無視しているのだ。 はっとさせられたのは、 「労働条件が悪くなる→貧困が増える→NOと言えない労働者になる →社会全体の、労働条件がずるっと下がる」 という「貧困スパイラル」。 まさしくそういうことが社会ではものすごい勢いで進行していて、 「誰もが不幸になる社会」への道を突き進んでいることを、 肌で感じている。 僕も中学生の時にこの本に出会いたかった、と思う。 でも、今出会えてよかった、とも思う。 いつからでも遅くない。ぜひ読んで、自分の頭で、考えてほしい。 |
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