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2007 06,02 10:50 |
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種類:小説
そういえば、この本、高校生くらいの時に「新潮文庫夏の百選」かなんかで見つけて、読んでみようかな?と思って結局読まずじまいだったんだった。 でも大人になってから読んでよかったのかもしれない。 自分が高校生の時にこれを読んだらもっと反発して、好きにはならなかったんじゃないかな。 なぜかというと、主人公の秀美(高校生の男の子)の考えがあまりに自分とリンクしすぎて。 でも、高校生の頃の僕と秀美とが共通しているのはあくまで「考え」の部分だけで、まれに見る臆病者だった(いや、過去形ではないな)僕は、とてもじゃないがその考えを行動に移すことなどできやしなかった。 本当は心の奥の方で、秀美と同じようなことを思っているのに、自分が臆病なことを認めたくなくて、あるいは自分が世間に認められる優等生だと信じたくて、あのころの僕はきっと彼を否定しただろう。 秀美の言う、つまらない常識で彼に×をつけたに違いない。 残念なことに、僕は「勉強ができる」子供だったからね。 だからこそ、そんな子供時代に漠然と後悔しているような大人を、この作品は強くひきつける。 秀美のあり方に、自分が言い訳に言い訳を重ねて自分を正当化してきたことを全部見抜かれているような気分になる。 なのに不思議と嫌な気分じゃないのは、この作品に登場する風変わりな大人たち――秀美のお母さんやおじいちゃん、担任の桜井先生、恋人の桃子さんなんかが、決して人を否定しないからだろう。 「僕は今まで逃げてきたんだ」と告白したら、きっと彼らはこう言うだろう。 「ああ、そうなんだ。で、これからはどうするの?」 「勉強よりも大切なことがきっとあるはず」なんていう帯はこの作品をきちんと表してはいないと思う。 中高生にこの本を積極的にすすめましょう、なんてのもあんまり気がすすまない。何よりも、この本は決して特定の意見を表明したものじゃないと思うのだ。 少なくとも、みんな秀美のような高校生になりましょう、とかそういうのじゃ決してない。「勉強よりも大切なことがあるよ、それに気づいて」ってのでもない。 この本の特徴は、結論がないところだと思う。 勉強ができなくてもいいさ、と言っていた主人公が大人になって成功して勉強ができたやつを見返してやる話、なんてのだったら、僕は決して共感なんかしない。 それどころか、秀美は言う。 「でも、ぼくは、絶対に、白黒つける側になりたくないんです」 勉強ができないやつがダメ、ということも、勉強ができるやつがダメ、ということも違う。 ただそれがそこにある、というだけで、だからどうなる、というものじゃないんだ。 そして、結論がなくたって、僕らはその行間から勝手に自分なりの何かを感じればそれでいいのだ。 PR |
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