2024 04,20 18:00 |
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2007 06,02 10:52 |
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種類:小説(児童文学)
最近はまっている、伊藤たかみの児童文学。 双子の兄妹、ユウスケとミカの物語で、『ミカ!』では二人が小学生、『ミカ×ミカ!』では二人が中学生になっている。 一応それぞれが独立した物語、ってことになってるけど、僕は両方とも続けて読むことを強く強くお奨めする。2冊とも文庫版が文春文庫から出てるし。 『ミカ!』で小学生の二人に思いっきり感情移入して、読み終わった後には彼らを見守りたくなるような気分になっているから、続けて読んだ、『ミカ×ミカ!』で二人が中学生になっているのを見ると、「ああ、お前ら大きくなったなぁ」と、親戚のおじさんのような感慨(?)を得られるからだ。 タイトルにもなっているし、明らかに目立つ主人公タイプなのは、妹で「オトコオンナ」のミカの方なのだけど、この作品は大人びていて優等生なお兄ちゃんのユウスケの一人称で描かれている。この構成がすごくいい。 それからこの作品には、涙を食べて成長する「オトトイ」という謎の生物だの、人間の言葉をしゃべる青いインコの「シアワセ」だの、どう考えてもファンタジーな存在が出てくるにもかかわらず、子供たちの中でそれが紛れもない現実として受け入れられていく。 この子供の世界特有の感受性と受容力なんかもさらっと描かれていて、わくわくしてくる。 というか、関西弁の子供ってかわいいなぁ。これはずるい。 文章もいいなぁ。ほんとに子供がしゃべってるみたいな、飾りのない素直な文章だ。 彼がそういう作家なのか、それともたまたま僕が読んだのがそうなのかは分からないが、今までに読んだ伊藤たかみ作品はすべてティーンエイジャーの一人称だ。 子供の一人称、というとどうしても大人に比べて限定した表現になりがちだけど (たとえば、子供らしくない難しい表現は抑える、とか)、彼のすごいところは子供が、子供の世界の中で100%なところだ。 彼の描く子供は、決して大人の未完成バージョンではなく、大人にあって子供にないものがある代わりに、子供にあって大人にないものをもっていて、考えていることの量だとか、大変さだとかはきっと大人とおんなじなんだ、と思わせる。 とにかく、読んでて楽しくてかわいくてほほえましくて、幸せな気分になれる。 子供向け? とんでもない。大人が読んでこそ面白い作品じゃないかなぁ。 PR |
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2007 06,02 10:50 |
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種類:小説
そういえば、この本、高校生くらいの時に「新潮文庫夏の百選」かなんかで見つけて、読んでみようかな?と思って結局読まずじまいだったんだった。 でも大人になってから読んでよかったのかもしれない。 自分が高校生の時にこれを読んだらもっと反発して、好きにはならなかったんじゃないかな。 なぜかというと、主人公の秀美(高校生の男の子)の考えがあまりに自分とリンクしすぎて。 でも、高校生の頃の僕と秀美とが共通しているのはあくまで「考え」の部分だけで、まれに見る臆病者だった(いや、過去形ではないな)僕は、とてもじゃないがその考えを行動に移すことなどできやしなかった。 本当は心の奥の方で、秀美と同じようなことを思っているのに、自分が臆病なことを認めたくなくて、あるいは自分が世間に認められる優等生だと信じたくて、あのころの僕はきっと彼を否定しただろう。 秀美の言う、つまらない常識で彼に×をつけたに違いない。 残念なことに、僕は「勉強ができる」子供だったからね。 だからこそ、そんな子供時代に漠然と後悔しているような大人を、この作品は強くひきつける。 秀美のあり方に、自分が言い訳に言い訳を重ねて自分を正当化してきたことを全部見抜かれているような気分になる。 なのに不思議と嫌な気分じゃないのは、この作品に登場する風変わりな大人たち――秀美のお母さんやおじいちゃん、担任の桜井先生、恋人の桃子さんなんかが、決して人を否定しないからだろう。 「僕は今まで逃げてきたんだ」と告白したら、きっと彼らはこう言うだろう。 「ああ、そうなんだ。で、これからはどうするの?」 「勉強よりも大切なことがきっとあるはず」なんていう帯はこの作品をきちんと表してはいないと思う。 中高生にこの本を積極的にすすめましょう、なんてのもあんまり気がすすまない。何よりも、この本は決して特定の意見を表明したものじゃないと思うのだ。 少なくとも、みんな秀美のような高校生になりましょう、とかそういうのじゃ決してない。「勉強よりも大切なことがあるよ、それに気づいて」ってのでもない。 この本の特徴は、結論がないところだと思う。 勉強ができなくてもいいさ、と言っていた主人公が大人になって成功して勉強ができたやつを見返してやる話、なんてのだったら、僕は決して共感なんかしない。 それどころか、秀美は言う。 「でも、ぼくは、絶対に、白黒つける側になりたくないんです」 勉強ができないやつがダメ、ということも、勉強ができるやつがダメ、ということも違う。 ただそれがそこにある、というだけで、だからどうなる、というものじゃないんだ。 そして、結論がなくたって、僕らはその行間から勝手に自分なりの何かを感じればそれでいいのだ。 |
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2007 06,02 10:49 |
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種類:小説(児童文学?)
「五年生の夏休みの一日目、私はユウカイ(=キッドナップ)された。犯人はお父さん」 (紹介文より抜粋) 面白い! 素敵な作品に出逢いました。 この著者の作品ははじめて読んだのだけど、一人称の心情描写がすごく巧みだ。 かっこよさげな仰々しい言葉を並べるんじゃなくて、すごくすごくシンプルな言葉で、でも微妙な感情を表してくれる。 なんだか文庫版解説の重松清氏の意見と全面的に重なってしまうのだけれど、こういうストーリーの中で説教臭く「親子の絆」やらなんやらを持ち出してこないところがすごく好き。 子供には親が必要だ、とか、親子とはこういうものだ、なんて言われるとなんだか反感を覚えてしまうけど、こんなふうに言葉に出せないもどかしさを描かれると、すごく共感してしまうのだ。 微妙な年頃の女の子と、情けないお父さんの二人のつながりも、だんだんと変わっていく二人の関係も素敵。 僕も父と娘の物語を書いてみたい、と思った。 |
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2007 06,02 10:47 |
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種類:小説
これはすごい。 この人、天才じゃないだろうか。 決して理路整然とした文章には思えない、いや思わせない文章なのに、そのストーリー展開は恐ろしいほどに緻密。 売れるべくして書いている感じなど微塵も見せないのに圧倒的な個性を醸し出している。 主人公は小学生で、舞台はどことはいえないけど、現実っぽい世界で、でもあからさまにファンタジーで。 主人公の視点やなんかはきちんと「こっち側」に立っているっていうのに、明らかに「向こう側」にいる弟を笑い飛ばせない。 「向こう側」を書いた作品はいくらでもある。「こっち側」を書くことで共感をもたらす作品も数知れない。 この作品のすごいところは、「こっち側」と「向こう側」の行ったりきたりを書いているところ。 そう、まさしくゆれるぶらんこのように。 これ以上リアルではいけない。これ以上ファンタジーでももちろんダメ。 このバランス感覚が素晴らしい。 しかも、この作品の最初から最後までに絶えることなく流れているのは「孤独」。 たとえばこどもの頃、夜中に一人で布団に入った時。 その時、言いようもない孤独と不安に襲われ、自分の今立っているところが現実なのか虚構なのかがひどくあいまいになって、ああ、もしかして今ここにいる僕は、誰かが見ている夢に過ぎないんじゃないだろうか、などと考えたことはないだろうか。 この作品の根底に流れているのは、そんな感覚だ。 もう一度言おう。 これはすごい。 |
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