2024 04,20 16:35 |
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2009 08,27 19:13 |
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初京極夏彦。
正確には、前に短編集をちょっと読んだことがあったんだけど、 その時はいまいち面白いと思えなくて途中までで挫折。 やはりこの人は長編の人なんだろうなぁ。 とにかく巧い小説。もう唖然とするしかない感じ。 古文じみた文章はそりゃあ読みにくいんだけど、 とてもリズムが良くて言葉選びも巧みなせいか、 少し読むと慣れてきてしまうから不思議。 歌舞伎とかの感覚に近いのかもしれない。 むしろ日本語好きの僕としては、 今使われている言葉の語源のようなものがたびたび出てきて、 感心しながら読み進める感じだった。 そして、とにかくも構成が巧い。 絶対、前から思いつくままに書いたりしないで、 ものすごく綿密なプロットを立てて書いているんだろうなぁ。 各章ごとに人の名前がつけられていて、その人が視点保持者となって進む。 いわゆる「キャラクター寄り三人称」というやつで、 視点保持者に限っては心情も描写する、一人称に近い形だから、 いわゆる「それぞれの思惑が複雑に絡み合って云々」というのが、 まさに目の前で繰り広げられる。 そのおかげで探偵もいないのに読者には全てがきちんと明かされるという、 神業的な構成を、この作品は持っているのだ。 僕は本を読むときに、登場人物に感情移入したい、という気持ちがとても強い。 だから自分とあまりに違う環境に生きている人物が主人公の作品はちょっと苦手だったりする。 だけど、この作品は僕に新しい読み方を示してくれたように思う。 舞台が江戸時代だから、いわゆる善悪の考え方も今とはまったく違うから、 登場人物に感情移入するのがちょっと難しい。 家を断絶させないために見たこともない人物と結婚するとか、 まぁ、僕らにとっては意味が分からないもんだ。 だから作品では「この時代はそういうもんだった」 みたいな説明をして納得させなくちゃならないんだけど、 視点保持者がどんどんと入れ替わる構成のおかげか、 あるいは、作品全体をしっかりと捕まえている本当の主人公が、 物語の当事者ではない、いわば狂言回し的な人物の又市であったせいか、 「この人はそういうふうに思ってしまう人なんだな」 とそれぞれのキャラを冷静に見ることができ、 感情移入を必要とせずとも十二分に面白いのだ。 そういう読み方のせいか、読み終わったあとはひどく冷静で、興奮はない。 けれど、とにかく巧い、すごい、という思考が頭の中をぐるぐると巡っていて、 なんだか悔しいが、それがとても快感なのだ。 まんまとしてやられた、という感じ。 で、読み終わったあとに作者のプロフィールを見て余計に悔しくなった(笑)。 広告代理店やらデザイン会社でそれなりに認められながら働いていて、 仕事の合間に初めて書いた小説を、なんの賞でもないのに出版社に持ち込んだら、 すぐに出版されて大人気になった、ってどんだけ天才なんだ(笑)。 悔しいから、「好きな作家は京極夏彦です」なんて、ぜーったい言わないんだから! さて、次はどれ読もうかな……。 PR |
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2009 08,27 08:07 |
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まだ『神の守り人』までしか読んでいないが、
現時点での感想を書いておこう。 この作品はすごい。 ジャンルで言えばファンタジー、 それも、完全な異世界を一から創造した ハイ・ファンタジーということになるのだろうが、 今まで日本で作られていたような、 あるいは日本人が「ファンタジー」と聞いて思い浮かべるような 華やかで優雅で美しい「妖精の国」のような世界とは 一線を画している。 その世界はあくまでも土臭く、華やかさとは無縁だ。 いわゆるファンタジーらしい要素としては、 人間達の住む世界と重なる、精霊や神の住む異界 (ナユグやノユークと呼ばれる)が存在するが、 それらはあくまでも人間達の生活に直接に関わる、 極めて現世的な物である。 『守り人シリーズ』は、いわゆる続き物ではなく、 各タイトルごとに話が完結する、いわば「連作」ものだ。 そして特徴的なのは、ひとつの話ごとにひとつの国が舞台となり、 その国の成り立ちから政治体制、民族のあり方や文化までが 詳細に語られることだ。 各国の詳細な描写こそがこのシリーズの大きな魅力、と言っても 過言ではないだろう。 それはファンタジーと言うより、まるで歴史の授業のようだ。 歴史の授業で僕らは教わる。 「ローマ帝国は遥か遠くまで遠征に行き、 そこに戦争を仕掛けて植民地にした」 「エジプトは王を神の化身として祭り、 死後にはその墓として巨大なピラミッドを建てたと言われている」 「バラモン教では神官を最高位とした厳格な身分制度が作られていた」 「中国の都市にはシルクロードを通って様々な民族が入り交じり、 複雑な様相を呈していた」――。 だがこのような授業では、 本当にそこに生きていた人がいること、 そこにひとりひとりの人生があったことなど、 実感どころか、想像すらできない。 「守り人」のすごいところは、 そういった様々な異文化を疑似体験できるところにあるだろう。 旅の凄腕の用心棒であるバルサが各地を渡り歩きながら、 それぞれの国で重要な人物を護り、あるいは自らを護るために戦う。 それが「守り人」シリーズに共通するあらすじだ。 大抵の場合、王族などの権力者が登場し、 国を支える権力構造や問題点などが明らかにされる。 民族問題、宗教の問題、貧富の差――それらは創作だというのに、 いや創作であるからこそ、鮮やかに赤裸々に描き出される。 重要なのは、バルサは「正義」ではないということだ。 国の陰にある、人間の黒い部分を目の当たりにして、 バルサは正義の味方としてそれを糺すようなことはしないし、 彼女にそんな力はない。 バルサの目的はあくまで生きることだ。 そう、この作品は「生きること」にこだわるものだと言える。 登場人物達は、僕ら現代に生きる人間には及びも付かないような、 過酷な状況下に生きている。 そして大抵の場合、命を狙われることになる。 あまりに巨大な困難に、 「生きること」そのものを放棄しかける登場人物に対し、 バルサは決してあきらめず、とにかく生きることを選択する。 おそらく、守り人のテーマはそこにある。 厳しい状況がある。絶望するのは簡単だが、それではそこで終わりだ。 だがその中であきらめずに「生きること」を選択する。 それは困難だが、それでもその先には『何か』がある。 言葉にしてしまうとそれだけのこと。 でもそれが本当の実感を伴って訴えかけてくる作品は、 なかなかないのではないだろうか。 おそらくは文化人類学に裏打ちされた、 この設定力の高さがうらやましくて仕方ない。 |
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2009 03,09 23:20 |
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ジャンル:歴史小説
おすすめ度:☆☆☆☆☆(5/5) 実は、今度「エリザベート」のミュージカルを初めて見に行くことが決まったので、その予習のために、と読み始めた作品。 藤本ひとみさんは、僕の中で女性が主人公の歴史小説を書かせたら右に出るものはいない、と思っている作家。 せっかく歴史もののミュージカルを見に行くのだから、その背後についてちょっとは知っておきたいなぁ。 だったら、面白い歴史小説で読めたらいいなぁ。 あ、藤本さん、エリザベートの小説書いてないかな? なんだか好きそうだし。 そんなふうに思って検索してみると、なんと、ちょうど新刊で発売するところだって! タイミングぴったり!(というか、ミュージカルに合わせたのかもだけど) そんなわけで、期待いっぱいで読み始めてみた。 読み始めた最初の方から、「あれ? これは今まで読んだ作品とは違うぞ」と感じる。 藤本さんの歴史小説は、ジャンヌ=ダルクやらヴァンデ反乱やら、どちらかと言えば血なまぐさいものが多かったのだけど、この作品は激動の時代とは言え、宮廷の頂点、しかもわがままで有名だったというエリザベートが主人公。 歴史小説というより、むしろ藤本さんが初期に書いていたコバルト文庫の少女小説に近いんじゃないか?と思われるほど、キャラクター的でライトテイスト。 ところがその手法が何とも効果的。 最初の方で各登場人物の個性を強烈に印象付け、その心の変遷を丁寧に書いていくことで、歴史上の彼らの行動さえも全て読者に共感できる形に読み解いていく。 そりゃもちろん、小説なんだから作り話で合って、本当かどうかなんてわからないけれど。 現実より現実的というか、なんだかありそう、と思わせてしまう筆力がすごい。 そして、藤本さん特有の時に登場人物の心に深く入り込み、時に客観的にも描写する緩急自在の地の文によって、対立するキャラクターそれぞれに感情移入してしまう巧みな構成。 シシィの気持ちもわかる、けど、ゾフィーの考えにも一理ある。 でもフランツ・ヨーゼフにだって立場はあるんだし、仕方がないじゃないかー。 なんて調子で。 誰一人単純な悪役にしたりせず、共感しながらも、偶然の悪戯と大いなる世界の流れに押し流されていくのを、誰もとどめられない。 そういう構成が、実に壮大でかつ繊細。 やっぱりこの人の書く歴史小説は抜群に面白い。 特にこの作品は圧倒的に読みやすいから、歴史苦手、って人にこそ読んで欲しい素晴らしい歴史小説。 |
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2008 05,08 21:54 |
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村上春樹について書こうと思う。
ちょうど今僕が彼の長編「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいる途中で(現在第2巻の半分まで読み進めている。全3巻の、ちょうど半分だ)、彼の作品を読みながら僕が感じている、日常から乖離したような不思議な感覚を記録して――そしてもし可能なら誰かと共有して――みたいからだ。 けれど、この考察は極めて不確かで頼りないものになるということを、あらかじめ断っておかなければならないだろう。それは、僕が彼について考える時に決まって感じる思いでもある。今までに僕は彼の作品を5,6作は読んだと思うし(短編を含めれば10を越えるだろう)、これからも読み続けるつもりだけれど、いまだに自分が村上春樹好きだと断言することにはためらいがある。定期的にひどく読みたくなる、という意味では間違いなく好きなのだけど、それでも、よく見かけるような、「村上春樹の作品が大好きなんです」と公言している若い女性達のようにははっきりと宣言できない部分があるのだ。その原因はおそらく、「何故自分が彼の作品を好きなのか」をさっぱり理解できないからだろう。 僕は、小説やら音楽やらのレビューを書いたりしていて、その中では作品における魅力を自分なりに分析し、他の人に伝わる言葉に置き換えるよう努めている。そしてその試みは、いくつかのレビューにおいてはある程度成功し、読者の共感を得ることができているのではないかと自負もしている。にもかかわらず、これだけ「好きなはず」の村上春樹作品の魅力を、僕はうまく伝えることができない。もし僕がどこかで、友人や知人に無邪気な瞳で、「で? 村上春樹ってどこが面白いの?」と尋ねられたとしたらきっと、頭を抱えて黙り込んでしまうことだろう。 それでも何とかして彼について語るとするならば、まず彼の文章は「現在進行形の文章である」ということができると思う。彼の作品は、「読み終える」ことに意味があるような性質のものではない。「読んでいる」ことに意味があるのだ。僕が彼の作品のレビューをあまり書かない理由の一つがそれで、読んでいる途中は彼の作品のことばかりが頭をめぐっているにもかかわらず、読み終えてしまうとそこですっかり満足してしまって、内容を思い返してレビューを書こうという考えに至らないのだ。あえて、作品を読み進めている真っ最中にこの文章を書いているのも、そのためである。 彼の文章の世界に入り込むのに、長い時間はかからない。読み始めて1、2ページもすると、周囲の環境はすべてシャットアウトして、いつの間にか世界に入り込んでしまっている。文章は回りくどい上に飛躍が多いし、何ページもかけて考察した挙句その結果が、「まぁそんなことには何の意味もないのだが」とかだったりする。 よく言われるように、ストーリー展開やモチーフそのものがひどく抽象的で現実離れしているのだが、その割になぜか断片的な思考一つ一つは極めて卑近で、リアリティがある。思考自体はありふれたものであるような気がするのに、その結果であるところの行動がものすごくずれている。なのに主人公はまるで他人事のように自分をとらえている節があって、思わぬ行動を起こす自分と、わけのわからない方向に転がるストーリーにやれやれ、とため息をつくのだ。おそらくは春樹自身をある程度投影していると思われるそんな主人公は、自意識が高すぎるあまり自分を客観的に見てしまうかのように振舞っていると言えるのかもしれないし、それはともすればナルシシズムのあらわれ、自己正当化のようにも見える。だが春樹はそんな批判すらわかっていて、大抵の場合、作品中で主人公は登場人物からそういう意味の批判を受ける。そしてそれに対して主人公がとる行動はあくまでも受身だ。 >「やっぱりあなたには相当問題あるわよ」と笠原メイは言って、ため息をついた。 >「問題はあると思う」と僕は認めた。 >「そんなに何もかも簡単に認めないでよ。自分の過ちを素直に認めて謝ればそれで何もかもがすっきりと解決するっていうものじゃないのよ。認めようが認めまいが、過ちというものは最後まで過ちなのよ」 >「そのとおりだ」と僕は言った。まったくそのとおりなのだ。 (「ねじまき鳥クロニクル」第2部5章より) これはもしかしたら、彼の生き方そのものなのかもしれない。彼自身は自然に穏やかに生きているつもりなのに、何故か目立ってしまう。それゆえに批判も、バッシングも多い。そんな世界に彼は黙ってため息をつき、肩をすくめて見せる。まるで彼はただ巻き込まれているかのようにも見えるが、その実、全てを巻き起こしているのは他ならぬ彼自身なのだ。 気がつけば、無駄に長い文章を書き連ねてしまったが、読み返してみると驚くほどに中身がない。それこそ、村上春樹の文章をリスペクトするがゆえなのだ、などと言い訳をしつつ、彼の作品を今日も読み進めようと思う。 |
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2008 05,08 21:50 |
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おすすめ度:☆☆☆☆☆(5/5)
ジャンル:ミステリ小説(たぶん) 「戯言シリーズ」という人気シリーズの一作目。 知る人ぞ知る売れっ子作家西尾維新のデビュー作にして代表シリーズ。 悔しいくらいに面白い。 西尾維新の作品を読むのは初めてじゃないけど。 この人の作品は、明らかに僕の好きなジャンルではないのだけど、そういうのを軽々と飛び越えて、夢中で読ませてしまう圧倒的な文章力。 二段組の講談社ノベルスで、しかも厚さが2センチはあるんだから、平均的な厚さの文庫3冊分の分量はあるんじゃないだろうか。僕はそれほど熱中して本を読めるタイプじゃないから、文庫一冊読むと疲れてしまう。特に自分が普段読まないジャンルは余計だ。 だと言うのに、この本は、2日くらいで一気に読んでしまった。本当に、「読み始めると止まらない」のだ。 かといって、中身がアクションで満載、というわけじゃない。むしろ冗長な、単調な状況説明のシーンがかなり長いこと続いたりする。なのにこれほど読ませてしまうのは、やっぱり文章のリズムが圧倒的に心地いいのと、描写の順序がきちんと、読者の思考と一致するからなんだろうな。 設定は、僕が最も苦手なジャンルのひとつ、推理小説。 しかも、怪しげな「天才」とかいうのがたくさんでてくる、リアリティとは無縁な、純粋なエンターテイメント。それでも、「天才」の中で苦悩する中途半端な僕、という設定は巧みに共感を呼び起こす。実はそれだけではないのだけれど。 ラストで、それまでの推理をあっさりと覆すどんでん返し。しかしそれさえも巧みな文章のおかげで、むしろ心地よい。 でも、西尾維新を「天才」と呼ぶことはやめておこう。きっと本人も丁重にお断りすることだろうから。 |
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2008 01,05 12:26 |
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種類:文学
プロの作家がこういう挑戦をしてくれる、ってのは素晴らしいことだな。 ものすごく特徴的な作品。 これはまさしく、「小説だけのもの」。 いくらなんでもこれを漫画化しようとか映画化しようとかいう人は居ないだろう。(おそらく) もしかすると、何でもかんでも映像化され、あらすじ化されてしまう今の風潮への、著者なりの抵抗なのかもしれない、などど感じてしまう。 僕が書きたいものにすごく近い作品。 もともと小川洋子さんは、あらすじよりも文章の美しさ、描写の繊細さを大切にする人だから、すごく僕の趣味に合うんだけど、この作品は大胆にもあらすじをばっさりと切り落としている。 ある日突然、僕のもとにブラフマンが現れ、日常をともに過ごし、ある日死んでしまう。 ただそれだけの物語。うっすらと起承転結のようなものはあるけれど、決して波乱に富んだものじゃない。 タイトルからして、「ブラフマンの埋葬」とあるとおり、はじめから最後まで、かすかな死を予感させる。 劇的な死ではなくて、穏やかな、緩やかな死の匂い。 幕切れは突然訪れるけれど、それでさえ予定調和。 号泣も狂乱もない、純粋なかなしみ。 ケータイ小説で号泣しました!という人にはおすすめできないかもしれない。 |
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2008 01,03 19:43 |
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種類:児童文学
めっちゃ爽やか! これこそ、「児童文学でしかできない作品」って感じかなぁ。 母親が海外勤務に行くことになったために、 離婚した父親のところに引き取られることになった小学五年の女の子、美森。 そこには物心ついてから初めて会った、 植物医のお父さんと「木の声が聞こえる」不思議な双子の弟、瑞穂がいて……。 こんな設定は、児童文学以外ではなかなか受け入れられないかもしれないけど、 だからこそすごく新鮮にみずみずしく響く。 そして何より、ビート・キッズで遺憾なく発揮されていた 潮さん特有の生き生きとした一人称の語り口は、 語り手がちょっと素直じゃない女の子に変わっても健在。 潮さんの作品で特徴的なのは、児童文学でありながら決して説教的じゃないこと。 「世の中こういうもんなんだから、子どもはこうありなさい」なんてことは一切出てこなくって、 むしろ、「大人たちだってね、完璧なんかじゃないんだよ」って事に気づかせてくれる。 僕自身そうだったけど、子どもの時って大人が完全なものに見えて、 大人に「こうなんだ」って言われるともう、それをそのまま受け入れるしかないように思ってしまう。 特に感受性の強い子なんかは大人の言うことと自分の現在の状態とのギャップを、 自分が不完全であるせいであると思い込んでしまったりもする。 だからこそ、そういう枠組にとらわれないこの作品は痛快でもあり、 大人たちの不完全ささえも認める優しさがあり、 安易な解決法も正否も提示しないところにある種のリアルもある。 作中に出てくる「いじめ」の表現も、僕にはすごく共感できた。 現代社会では良くも悪くも、「いじめ」というものが特別視されすぎてその言葉も独り歩きをしている。 「いじめは絶対悪だ」と騒ぐだけでは本質を見出せるはずもないし、 それでは何も言わないのと同じだ。 「わたしがクラスメートでもたぶん、あの子のこといじめてると思う」 だなんてこぼしてしまう美森ちゃんの語りにこそ本質はあると思うし、 単に「そのままでいいよ」というばかりが解決でもない。 これが解決策だ、なんて簡単に言えるわけもないけど、 悩み多き子どもたちを余計に悩ませているような、 大人たちのプレッシャーに満ちた「いじめ」への視点より ずっと希望にあふれていると思う。 まぁ、難しいことはこの作品には似合わない。 不思議な設定でありながら、平凡な日常にあふれたこの作品。 痛快な美森と優しさに満ちた瑞穂の日常に触れて、 すがすがしい森に爽やかさを感じられれば、それだけでこの作品を読む価値はあるんだ。 |
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2007 12,15 10:57 |
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種類:小説(児童文学)
これはいい! 軽い気分で読めて、読んでいる途中も読み終わった後も気分爽快。 最近講談社文庫は、質の高い児童文学をどんどん文庫化してくれるからすごくうれしい。 これからも頑張れ! で、この作品だけど。 太鼓を叩く中学生、英二が主人公。 1巻ではブラスバンドのパーカッション、2巻ではロックバンドのドラムスだ。 音楽ものなのはともかく、主人公がパーカッションとドラムスってのはなかなか珍しいんじゃないだろうか。 だって、太鼓ってすごく地味だもんな。 それなのに、この作品のすごいところは、読んでいるうちに「いや、太鼓やないとあかんねん!」ってエイジと一緒に叫びたくなっちゃうところ。 それくらい、みんなでビートを刻んでいる時の描写が楽しくて幸せで、最高なのだ。 作品中で、エイジの家庭環境はあまりいいとは言えない。 父親は酒乱気味で仕事をしないし、母親は体が弱い。 家は、エイジが新聞配達で家計を助けなきゃいけないくらいだ。 だけど、エイジはそれを決して嘆いたりしない。 「自分が特別に不幸な人間だ」なんて悦に入ったりしない。 そういう環境に生まれたなら、その中で必死で生きればいいんだ。 どんな状況でも人を大事に思うこと、人に感謝すること、そして人生をひたすらに楽しむこと、それを決して忘れない。 そんなエイジだから、周りの人たちだってエイジを「悲劇の少年」としてなんて扱いやしない。 だからこそ、まっすぐにぶつかり合い、心を共有させ、信じあえる。 仲間の暖かさを感じられることは例えようもない幸福だけど、それは単に偶然なんかじゃない。 自分が人を信じること、世界を愛すること。それが全ての始まりなんだ。 大仰な悲劇で感動させようという意図があからさまな作品とは全く違う、自分自身で見つける幸せの形が、ここにある。 僕はロックバンドが好きだから、特に2巻が大好き。 みんなで協力して、バンドが成功するための過程、というスポ根なノリでは全然なくって、今自分がここで、ドラムを叩いて音楽を生み出していることへの震えるほどの喜びを書いているところが本当にすごくいい。 子どもにも、大人にも、みんなに読んで欲しい。 もとが児童文学だから、「本を読むのが苦手」という人にもすごくおすすめ。 文庫だから500円しないし。 騙されたと思って読んでみて! |
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2007 06,02 10:56 |
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種類:小説
『君にしか聞こえない―CALLING YOU―』(角川スニーカー文庫)所収 久しぶりに、読み返してみた。 やはりこの作品は格別だ。 何でこんなに、繊細な、それでいて身近な感情が描き出せるのだろう。 電車に乗っている間に全部読めてしまうような短い文章の中に、 すごくきれいでもろい感情が詰め込まれていて。 本当に泣きそうになる。 シンヤは、どんな思いだったのだろう。 断片的にしかわからない彼のおぼろげな姿が、 かえって鮮明に、胸の中に焼きついて離れない。 「珠玉の短編」という言葉がふさわしい、何度も読み返したくなる作品だ。 |
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2007 06,02 10:53 |
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種類:小説(児童文学)
本当にこれはもう……最高。 心の底から大大大好きな作品だ。 もともとは講談社から児童文学として15年位前に発売された本なのだが、 何故か今月になって「新刊」として講談社文庫化。 何故今になってなのかはさっぱりわからないが、 たつみや章氏の作品は僕の子ども時代の大のお気に入りだった思い出深い本で、 思わず本屋で見つけて衝動買い。 ならば読むのは10年以上ぶりか、というとそういう訳ではなくて、 実は去年「つむじ」を書く時にすごく読みたくなって図書館で借りて読み返していたのだが。 というわけで一年ぶりくらいに読み返したこの作品。 もう読むのは5回目くらいだろうか。それなのに。 一人暮らしの部屋から実家に帰る途中の電車の中で読んでいたのだが、 本当に心打たれて不覚にも泣きそうになってしまった。 去年読んだときよりも、感動はさらに大きい。 自分が社会人になって、作品の中身がより強く意識できるようになったからかもしれない。 最近書いた「みなみやま冒険日記」が、たつみや氏の影響を色濃く受けていることを (というより、たつみや氏の作品を目標にしていることを)強く感じたからだろうか。 僕が欲しかったのは、そして生み出したいのは、こういう作品だ。 主人公のマモルや、守山さんや、ミコトさま。 そうした登場人物が本当にいとしくてたまらない。 心からわくわくして、優しい気持ちになって、そして切なくて、最後には幸せな気分になる。 ああ、こういう作品がこの世にあることが嬉しくてたまらなくて、 いつか僕の作品が誰かをそんな気分にさせることができたら、と途方もない夢を見てしまう。 ほんのわずかでもこんな作品に近づくために、僕は今日も作品を書くよ。 |
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